荷風

2017年5月 4日 (木)

2017市川・荷風忌

53日、持田叙子さんの講演があるというので、これは是が非でも行かねば、と市川の市川市文学ミュージアムまで行ってきた。市川・荷風忌は去年に続き2回目。持田さんは「荷風の見つめた女性たち」のテーマで荷風文学に登場する女性たちを三本の系譜に分けてお話しくださった。①清らかな少女 ②自立心をもつ知的女性 ③都会で働くアソビの世界の女性。私は実在の人物についてを期待していたのだが、でも持田さんのお話はその女性像を独特の視点から分析してくださって、面白く拝聴した。とくに森鴎外に褒められたという文壇デビュー作の『地獄の花』、それ以前の「いちごの実」「夕せみ」「四畳半」など、純白のユリに象徴される少女への憧れを表現したという作品解説は持田さんらしい見方だし、うなずける話だった。

今年は荷風が断腸亭日乗を書き始めて100年目にあたるのを記念して、11月にこのミュージアムで「荷風の見つめた女性たち」という企画展が催されるという。なんでもこじつけますね。今回はそれに先駆けた講演会だったよう。

講演のあとは、昨年に引き続き、俳優座女優の長浜奈津子さんが、ひとり語り「ひかげの花」を演じた。語りはすばらしかったが、去年の三味線からアコーデオンに替えての演奏は、これはない方がよかった。それにしても朗読が流行ってますね。

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去年、ミュージアムで求めたカタログ

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2017年5月 3日 (水)

2017荷風忌

今年も浄閑寺に行ってきました。13時の受付に、12時半にはすでに列ができていました。やはり私を含め年配者が目立ちます。法要のあと、朗読家・内木明子さんの耳で読む永井荷風――朗読「すみだ川」。休憩10分を挟んで80分の長丁場。内木さんのプロフィールによると、内木さんは学生時代から幸田幸子氏に師事、舞台をはじめ、大学や社会人向けの朗読講座でも広く活動されているそう。口をはっきり動かした明瞭な話し方で、それぞれの登場人物がいきいきと描きだされました。

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2016年5月24日 (火)

吉野俊彦著『永井荷風と河上肇 』を読む

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初めて読む本と思っていたが、読み始めたら随所に読んだ記憶があって困惑した。Ciさんからお借りしたのだが、困ったものである。今後もこういうことがありそう。

さて、この同じ著者の『永井荷風の経済学』は読んだ記憶がはっきりあって、読書記録もある。著者はその『永井荷風の経済学』を執筆しているときに、荷風の日記『断腸亭日乗』と似た記述が河上肇の日記にもあることに気付き、類似点を探し出したのがこの本の生まれるきっかけとなった。

本の帯に「四角四面のマルクス経済学者と女三昧の無頼の作家」とあるように、まるで共通点などなさそうなふたりだが、著者は、荷風と河上肇が同じ年の生まれ(1879年)であること、フランスに滞在、ドヴィッシーの音楽に出合う、大学教授に、全集がベストセラーに、反軍国主義者、戦時下の生活物資不足とインフレ進展の詳細な日記をつけた、森鴎外を尊敬、などつぎつぎと類似点を挙げていく。内容の三分の二は河上肇にウェートをおいた印象。河上肇という私には到底縁のない人のことを知ることができたし、同時代を生きた二人を対比させることで、その時代をより重層的に捉えることができて面白く読んだ。(2001 NHK出版) 

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2016年5月 5日 (木)

市川・荷風忌に行ってきた

毎年53日に市川市文学ミュージアムで開かれる。今年で8回目。私は初めて参加。講演は相模女子大学教授、南明日香氏の「荷風と明治の都市景観」と休憩を挟んで劇団俳優座女優、長浜奈津子氏のひとり語り「玉の井 大江匡とお雪」。

20世紀初め、荷風はアメリカとフランスに滞在、計画的に建設された都市に身を置いた経験から、大きく変貌する東京の姿に憤りを感じながらも、荷風流に街歩きを重層的に楽しんだ。『日和下駄』(1915年)の文章などをテキストにスライドを見ながらのお話。

長浜氏のひとり語りは着物姿に三味線。「六月末の或夕方である。梅雨はまだ明けてはいないが、……」と始まってアレッと驚いた。電車のなか、開演前にパラパラと『濹東綺譚』を読んでいたのだが、ちょうど読み終えたところから始まったのだ。長浜氏のお雪は優しく柔らかい。濹東綺譚』を繰り返し読んでいる私には、お雪のイメージが勝手に出来あがっているせいか、どうもぴたりとこない。もう少しちゃきちゃきの感じであって欲しかった。映画の山本富士子は本文には「あなた」とあるのを「あんた」と呼んで、こちらはかなり頑張っていたが、この女優も私の趣味ではない。220席ほぼ満員。私を含め白髪が目立った。

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2016年5月 2日 (月)

2016荷風忌 荷風さんを偲んで歩いてきた

4月30日は荷風さんの命日。三ノ輪の浄閑寺で荷風忌が執り行われた。午前中、東向島のかつての玉の井界隈に足を伸ばし、『濹東綺譚』に登場する、細い路地裏の荷風さんが通ったと思えるお雪の家あたりを想像して散策した。荷風さんが初めて玉の井を訪れたのは『断腸亭日乗』によると昭和7年、54歳の時。当時の面影などもちろん皆無だが、東向島の駅前には昔ながらの個人商店が軒を並べ、下町の風情が色濃い。向島百花園の藤はもう盛りを過ぎていたけれど、荷風さんはじめ文人墨客が愛でたこの庭はきれいに整えられた気配がなく、自然な趣が残されているところがいい。

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午後1時30分からの法要と講演会。今年の演目は日本近代文学研究家の宮内淳子氏による「若き日の荷風と上海 父・漢詩・日本と中国」。宮内氏は荷風がご専門ではないとのことだったが、外国で過ごした作家たちを共同研究したなかで荷風の上海を担当されたとのこと。ざっくばらんなお話しぶりで、荷風年表から関連項目をシンプルにピックアップして示して下さり、たいへんわかりやすかった。

荷風は父親の仕事の関係で17歳の時に上海に遊び、19歳の時に「上海紀行」「滬(こ)遊雑吟」を発表、56歳の時も「十九の秋」で上海の思い出を好意的に書いているのだが、あいだの31歳の時に書いた「若き反抗心」では上海を散々にこけおろしている。このトーンの違いは何故か、と疑問を呈している。また、上記19歳と56歳の作品を、年齢差を考慮せずに並列で論じてしまったところは再検討の余地ありと自らの反省材料として語った。日中の関係、日清戦争や清朝滅亡、満州事変等との関連も興味深いものがありました。

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2015年5月 4日 (月)

2015年荷風忌

430日、三ノ輪の浄閑寺へ。法要のあと若いおふたりの講演があった。高野麻衣氏の「荷風、ふらんす音楽の夢」と多田蔵人氏の「永井荷風の読書」。正直なところ高野氏の話は期待していなかったのだが、じっさいは荷風の読書の話よりも私には興味深いものだった。

 

荷風は1900年代初頭にアメリカ、フランスに滞在、ニューヨークでは毎晩のようにメトロポリタン・オペラに通い、西洋の近代音楽を日本にいち早く紹介した人だが、荷風がその頃に聴いたと思われる音楽を聞きながらのお話がよかった。ラ・ジョコンダの間奏曲、タンフォイザー、愛の妙薬……時代を一気に超えていま荷風と同じ音楽を共有しているという想い。音楽の力はすごいです。

 

一方、荷風の読書とはどんなものだったか、能動的読書だったとして多田氏はいくつかの本文例や図資料を提供して下さったが、そりゃそうだよねという感じで、ややインパクトに欠けた。氏は現在のお住まい鹿児島から空輸便でたくさんの貴重な関連書を持参され、会場の座席右端から、あるいは左端からと惜しげなく回覧された。その古書コレクションはなかなかのもので、研究者はたいへんなものだなぁと。ちょうど真ん中に座った私は講演が終わるまでのあいだに、残念ながら一冊も手にすることはできなかった。

新鋭のおふたりがそれぞれ今回のテーマを軸にさらに研鑚を積まれ、新しい荷風をみせてくださることを期待したい。

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2015年3月22日 (日)

加藤郁乎編『荷風俳句集』(岩波文庫)を読む

自選荷風百句(実際は118句)に718句を加え、さらに狂歌95歌も加えて通し番号で931作品、それに小唄他、漢詩、随筆、写真と俳句、を含めて全体が構成されている。編者の詩人・俳人加藤郁乎は残念ながら20125月、この本の刊行を待たずに亡くなられたが、俳人荷風をみごとに浮き彫りにしてくれた。そして私にとっては荷風の俳句がどうこうというよりも、漢詩や俳句が文章家荷風の礎となっていることがよく理解できたし、池澤一郎氏の解題がたいへん参考になった。

 

荷風は20歳の時から亡くなるまでの60年、俳句に親しんだ。「人生には三つの楽しみがある、一に読書、二に好色、三に飲酒と『日乗』かどこかに書いてあったが、みずから恃むところ高き散木荷風には文事淫事を問わず市井人事のことごとくが四季とりどりの句となり得た、それでよいではないか。」と郁乎は書く。

色町や真昼しづかに猫の恋 荷風

下駄買うて箪笥の上や年の暮れ 荷風 

同書で随筆として掲げてあるのが「雪の日」。私はこの作品の湿り感、浮世絵の江戸を観るような情趣が好き。このなかにも小唄や俳句が効果的に使われている。荷風の作品は随筆か小説か区別できないところがあり、随筆体小説などといわれるが、「雪の日」は小説のようでもある。

 

荷風撮影の写真と俳句の組み合わせもうれしい。大正から昭和初期の下町の景色、建物や看板、風俗がよく分る。

 

先にこのブログ(201310月)で加藤郁乎著『俳人荷風』を採り上げたが、荷風の俳句にそれほど注目してはいなかった。しかし最近、俳句に少しばかり興味を持ち始めたこともあって、わたしの荷風はまたまた深間に陥ってたいへんである。

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2014年9月26日 (金)

荒川放水路を歩く

荷風の「放水路」を二度目は地図で確認しながら読んだが、この辺の地理に弱く、なかなか頭に入ってこない。荷風は大正3年に千住大橋をわたって長堤を2里ほど歩いている。それからしばらく間があって、昭和6~7年頃に足繁く荒川放水路を訪れ、11年に「放水路」を書いた。

「放水路の眺望が限りなくわたくしを喜ばせるのは、蘆荻(ろてき)と雑草と空との外、何物をも見ぬことである。殆ど人に遭わぬことである。…(略)…ここに杖を曳く時、わたくしは見る見る薄く消えて行く自分の影を見、一歩一歩風に吹き消される自分の跫音を聞くばかり。いかにも世の中から捨てられた成れの果てだというような心持になる。…(略)…自分から造出する果敢(はか)ない空想に身を打沈めたいためである。平生胸底に往来している感想に能(よ)く調和する風景を求めて、瞬間の慰藉にしたいためである。その何が故に、また何がためであるかは、問詰められても答えたくない。唯おりおり寂莫を追求して止まない一種の慾情を禁じ得ないのだというより外はない。」

 

川本三郎氏は『荷風好日』の「荒川放水路から荷風をしのぶ」のなかで、「荷風の文章を読むと、読者はたいていそこに描かれた風景を見に出かけたくなってしまうものなのだ。」と書くが、ほんとにそう。その川本氏の文章がまた荷風の風景を見たい気持ちを倍加させる。

そして同氏は「風景というものは人に見られることによってはじめて「風景」としての意味をもつ。見る人の視線、価値観によって「風景」として立ち上がる。それまでは、ただの川・川原であった風景が荷風という文人によって眺められ、言語化されることによって、はじめて価値のあるものになる。その意味で、荷風は荒川放水路という風景の発見者だった。」と書く。

 

浅草の木馬亭で「浅草21世紀」の芝居を観る日に、ちょっと足を延ばしてみようと決めた。京成電車の八広で下車、そこから荒川沿いを30分ほどさかのぼり堀切まで歩き、東武電車で浅草に戻ってきた。歩きはじめてすぐ、昼前の日照りの荒川は荷風の荒川ではなかったと後悔したが、初回は土地慣れのつもりで歩くことにした。堤から右手に幅広の川を眺めながら歩く自分の姿を想像していたが、実際は川幅は広いけど、その半分の河川敷は野球場やサッカー場などの運動広場に整備されていて川の気配は遠い。対岸には中央高速環状線が2階建てに見える。堤から下に降り、川面にいちばん近いところを歩く。柵と川面のあいだに背丈ほどに雑草木が生い茂っていて、そのところどころにけもの道らしき道。その先に目をやると決まってブルーテントが見える。木に洗濯物が干してあったりして生活がうかがえる。上野公園や隅田川の堤から追い立てられてきた人たちなのだろうか。

 

川本氏が放水路を歩き始めたのは1980年ごろという。上記の「荒川放水路から荷風をしのぶ」を書いたのが2000年。そこに書かれた風景さえ、もはや望みえないものになりつつあるが、荷風の見た風景、風や匂いを少しでも感じとりたい、と、しばらくは追っかけるつもり。1410915163326_800x568

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2014年8月19日 (火)

川本三郎著『荷風好日』を再読。そしてドナルド・キ―ン著『声の残り』

『荷風と東京』の著者が、新聞や雑誌に発表した荷風関連のエッセイをまとめたもの。さらっと読めるのだけれど、内容は深い。今回も新たな喜びがあった。川本氏は荷風を好色文学から都市文学へ、東京の町の散策者として光を当てた人。この人の文章を読んでいると心地よい。荷風論でいま私が一番信頼を寄せる人。氏は『断腸亭日乗』を読みこみ、荷風の歩いた東京をくまなく歩き、その魅力を引っ張り出してくれる。たとえば「浅草から京成電車に乗って四つ目の八広駅で降りる(平成六年に荒川駅から八広駅に駅名がかわった。)。駅を出るともう目の前が荒川で、広々とした水のパノラマが広がる。」とあると、もう、絶対ここを歩こうと思ってしまう。

 

「荷風のラジオ出演」のエッセイでは、荷風の声をラジオで初めて聞き、その「あまりに若い声に驚いてしまった」とある。そしてドナルド・キ―ン著『声の残り 私の文壇交遊録』のなかの荷風を紹介してくれた。それがじつに面白いので、早速図書館でキ―ンの『声の残り』を借りてきた。薄い文庫本で、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫など交遊のあった18人の文人を採りあげている。現在92歳のキ―ンは昭和32年、35歳の時に最晩年の荷風を市川の家に訪ねている。「永井荷風には一度だけ会ったことがある。実はそれだけでも、大したことなのだ。」という文章で始まり、ポイントは「まもなく荷風が、姿を見せた。荷風という人は、まことに風采の上がらぬ人物だった。着ている服は、これといって特徴のない服で、ズボンの前ボタンが全部外れていた。彼が話しだすと、上の前歯がほとんど抜けているのが分った。しかし彼の話すのを聴いているうちに、そうしたマイナスの印象なぞ、いつの間にか、どこかへ、すっ飛んで行ってしまった。彼の話す日本語は、私がかつて聴いたことがないくらい、美しかったのだ。第一私は、日本語が、これほど美しく響き得ることさえ、知らなかった。その時彼が話したことの正確な内容、せめて発音の特徴だけでも、憶えておけたらよかったのに、と悔やまれる。ところがその日は、前の晩の飲み過ぎで、私はひどい二日酔い、荷風が何をしゃべったか、記憶がまったく定かではないのだ。それにしても、彼の話し言葉の美しさだけは、あまりにも印象深くて、忘れようにも忘れられない。」晩年の荷風が彷彿とする。私もアーカイブでぜひ聞いてみたい。

 

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2014年5月24日 (土)

古屋健三著『永井荷風 冬との出会い』を読む

荷風は明治431910)年、31歳の時に慶応義塾大学文学科の教授となり、「三田文学」を創刊した。著者の古屋氏は荷風にあこがれて慶大に入り、この本の執筆当時は慶応義塾大学文学部(フランス文学)教授で元三田文学の編集長だった。表題の「冬との出会い」とは何を意味するのだろう。「戦後の無に直面して荷風の世界も無残に崩壊するのである。」「『濹東綺譚』は喪失の秋を前にした夏の夜の夢物語といえるだろう。そのはかない美しさは、早くも秋の風の前触れに戦いている盛夏の夕景を思わせる。ちなみにこの後、日本は長い、凍てついた冬に入る。」「荷風は、夢はしょせん夢にすぎないことを、夢を見ながらも知っていたのである。いわば、荷風は覚めながら夢をみていたのであって、このように荷風の夢は現実に完全に否定されることによって、はじめて純粋な夢となりえていた。」ということか。荷風の作品や関連資料を多用引用しながらその世界を解き明かしてくれるのだが、私には細かすぎて、こうした学者先生的評論はどうも苦手。なかなか先に進めなかったが、得るところは大でした。四六判430ページの労作。

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