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2020年8月

2020年8月29日 (土)

縁切り榎

4月に旧中山道の巣鴨から板橋宿の縁切り榎までを江戸楽会で歩く予定だったが、コロナで7月に延期、そして7月も再度延期となって、いま宙ぶらりんの状態だ。私は今回幹事役だったので、下調べに2回ほど歩いた。中山道は東海道と同様に江戸と京都・大坂を結ぶ重要な往還だが、海道が海や川の気象変化に左右されやすいのに比べて、中山道は木曽路などの険しい山道だが、日程に狂いが生じにくく多くの人に利用されたという。

ゴールとした「縁切り榎」は板橋宿でいまも人気のスポットで、絵馬が所狭しと下がっていた。そこに書かれてある文面を読むとスゴイ!!

川副秀樹さんの著書『東京の「年輪」発掘散歩』には、次のようにある。「本来榎は縁の木に通じ縁結びの木とされたが、なぜ縁切りになったかには諸説。飯盛女が馴染み客との良縁または馴染まぬ客との縁切りの両方を祈願したが、いつの間にか縁切りが突出。榎の皮を煎じて相手に飲ませると成就するといわれるようになる。皇女和宮の輿入れ時はこの木が婚礼の行列から全く見えないように根元から葉先まで菰(こも)をかぶせたという実話が残る。遠回りしたという説は有栖川宮親王家の第六皇女楽宮(さざのみや)のこと。」

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2020年8月18日 (火)

ヤモリとイモリ

ヤモリがガラス窓の外側に張り付いていた。トイレの窓などでときどき見かける。ヤモリは家守で家を守ってくれるというので、縁起がいいらしい。吸盤が可愛い。

ところでヤモリとイモリのちがいがよくわからない。ネット検索したら、ヤモリは爬虫類で肺呼吸、イモリは両生類で皮膚呼吸、見た目の違いはお腹が赤いのがイモリ(井守)だそう。以前、我が家の猫がヤモリの尻尾を噛み切ったようで、切断された尻尾がしばらく動いていたことがあった。これは敵を欺くためとか。その間に本体が逃げおおせるらしい。

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2020年8月 8日 (土)

コロナ後の世界

文藝春秋7月号の特集は「コロナ後の世界」だった。そのなかにマイクロソフトの創始者ビル・ゲイツが4月にイギリスの「エコノミスト」誌に掲載した文の邦訳があった。タイトルは「ワクチンなしに日常はもどらない -ワクチン開発のためなら数千億円を無駄にしてもかまわないー」というもの。

氏は新型感染症のリスクについて長年警鐘を鳴らしてきて、すでに十数年前に「今後数十年で1000万人以上が死ぬとすれば戦争ではなく、ウイルスで、いま世界は密接に結びついているので、世界中の大都市に瞬く間に感染が拡がる」と予言していた。そして氏は20年以上にわたってウイルス対策に取り組んできたが、このすべての力をこの度の新型コロナ対策に投じると表明。なかでもワクチン開発に注力し、開発の時間を短縮するために、期待される7種類のワクチン開発への投資を決断、もし選抜から漏れたワクチン候補に費やされる数十億ドル(数千億円)が無駄になっても感染症が収束し、経済活動が戻るなら理にかなっているとしている。

そして最後に、2021年からの数年間は1945年以降と似通ったものになるかもしれない。今の状況は19421110日、イギリスが地上戦の初勝利を収めた際、ウィンストン・チャーチルが演説で言い放った言葉「今は終わりではない。これは終わりの始まりですらない。しかし始まりの終わりかもしれない」と締めくくっている。

やはり世界を動かす人の先見性と決断は違うと改めて感心した。

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2020年8月 1日 (土)

コトンが死んだ

7月28日早朝、痙攣を起こすようになった。いよいよ最期だなと覚悟した。コトン、と耳元で呼びかけると律義に口を開けて答える。耳は確かだ。そして7時20分、後ろ足を大きく伸ばして息絶えた。ようやく楽になっただろう。暑い時期なのでその日のうちにお寺に運んだ。段ボールにタオルを敷いて保冷剤をあちこちに入れて、それでもお寺で重さを量ったら2.5キロしかなかった。

最期の頃は夜だけおしめをしていたが、日中はおしっこの時間をメモして3時間おきくらいにトイレに連れて行ったが、忘れているとあちこちに垂れ流しで、しょっちゅうクッションを洗ったり、床をふいたりで大変だった。一度にたくさん食べられないので、鳥のように起きているときは食べ物を催促した。最後の晩餐は好物のマグロのお刺身を食べた。決して外に行きたいといわなかったのに、死の2、3日前から外に出たがり、あちこち昔の場所を確かめているようだった。今思うと死に場所をどうするかかんがえていたのかもしれない。

歌人の穂村弘さんのエッセイ「野良猫を尊敬した日」を読んだら、「猫は何一つ所有することなく一生を過ごす。じつにもの凄い存在なのだ。一瞬一瞬をただ全身で生きている。命の塊なのだ」とあって、猫への尊敬度がますます高まった。コトン、あちらでも今まで通り、我が道を行ってね。

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