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2015年8月

2015年8月26日 (水)

夕餉は新秋刀魚

昨日今日と急に涼しくなって秋の気配。東京の気温はなんと21℃。あの暑さはもう戻って来ないのかしらとちょっと心細いくらいでした。8月ももうすぐ終わり。そろそろ秋刀魚、というわけで今晩は秋刀魚の塩焼き。ほかにテーブルに並んだのは小松菜と油揚げの煮びたし、茄子炒めトマトソース和え、きんぴらごぼう、こんにゃく甘辛煮、たらこ、胡瓜の糠漬け、キムチ、舞茸の味噌汁。

清水哲男さんの『新・増殖する俳句歳時記』の今日の一句も秋刀魚。宇野信夫の「秋刀魚焼く夕べの路地となりにけり」。そして、秋刀魚にまつわるエピソードもおもしろい。

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「衣服が語る戦争」展を観る

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8月は原爆投下、敗戦の月。今年は70年という節目の年に当るため、テレビ・新聞が特集を組み、多くのイベントも開かれている。この展覧会もそのひとつ。戦時下の一般庶民の生活がどんなものだったか、食料の話はよく聞くが、衣服からみた戦争の視点がこれまで漠然としたものだったので、流れが分り貴重な展示だった。

軍服の影響が一般人の服装にも反映されたこと。日中戦争勃発の頃は日の丸や戦車、兵士などが描かれた着物地が出回った。この辺りのことは初めて知った。「銘仙一反親子のドレス」という昭和13年のポスターコピー。母と子のドレス2着が一反の着物地からとれると呼びかけたもの。ドレスという言葉が使われている。さらに戦局が進むと着物から上衣、もんぺ、防空頭巾を作り、防空頭巾には名前、住所、血液型を記した布札を縫い付けた。軍用ウサギの飼育が奨励され、真鍮のボタンは供出。物資不足のため贅沢を制約、国民服、婦人標準服の規定など国家による衣政策が行われ、衣服の自由が妨げられた。おしゃれなどとんでもない時代だったのですね。一触即発でまた似た時代になるかもしれないと思うと恐ろしい。

同時期のヨーロッパのミリタリーファッションも紹介されている。そして衣服だけでなく、「装苑」や「VOGUE」など当時の雑誌類もたくさん展示されていて興味深かった。戦後いち早く創刊された「それいゆ」は姉が定期購読していたので懐かしかった。「暮しの手帖」創刊号(昭和23年)も。文化学園服飾博物館で8月31日まで。1440556941384_443x640_2














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2015年8月21日 (金)

西村匡史著『悲しみを抱きしめて 御巣鷹・日航機墜落事故の30年』を読む

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812日。520名の命を奪った衝撃の事故から30年。愛する家族をとつぜん失った遺族はどんな思いでこの30年を生きてこられたのか。30年という時の流れをまず思います。悲しみを抱きしめて…という表現、ほんとにそう、悲しみを抱きしめながら、多くの人たちと支え合って、前に進んでこられたのだと思います。30年という時を経て、はじめて表現できたこともあったことでしょう。

 

事故当時8歳だった著者の西村匡史氏はTBSテレビ報道局記者となり、18年後に墜落現場を取材。その後、氏はプライベートにも慰霊登山をつづけ、何人かの遺族と親しく交流するまでになりました。その人たちの心の底にある想いを丁寧に掬いあげてまとめたのが本書です。そして遺族のみならず、墜落現場となった上野村の村長や村人の献身的な働き。加害者側である日航社員と遺族のあいだに芽生えた温かい交流がいまも続いていることなども紹介しています。

また遺族が立ち上げた8.12連絡会の在り方も注目に値します。その後の事故の遺族会のモデルとされている大きな要因は会を補償問題の窓口にしなかったこと、事故を刑事責任として追及するのではなく、このような悲劇が二度と起きないようにと原因究明に力を注いだことでしょう。

事故後30年の真実を精魂込めてとらえた著者の姿勢が読後感を爽やかなものにしています。

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口紅

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サチさんはいつも真っ赤な口紅をつけている。自分の好みがはっきりしていて、流行に左右されることがない。人喰い人種のようねと憎まれ口を叩いても意に介さない。大したもの。わたしはほとんど化粧をしないが、口紅だけは昔からの習慣で付けている。ほんの少し赤味のある色をつけると心も安定する感じ。

先日、家を出てまもなく、あっ口紅をつけるのを忘れた、と気づいた。しまったと思ったけど持ち歩かないから仕方がない。三島由紀夫の小説「鏡子の家」だったか、「イヤリングをしていないと裸でいるような気がする」という気障な科白があって、この言葉だけ妙に覚えている。「裸」ほど大げさではないけれど、その日は忘れ物をしたようで落ち着かなかった。最近は家にいることが多いのでスッピン、外出のときだけ紫外線がどうこう喧伝されているので、UVカットのファンデーションを塗り、口紅をつける。ま、自己納得のおまじないのようなもの。

近ごろの若い女性を眺めていると、口紅を塗らないのか、地味な色の口紅のせいか、口元はごくナチュラルだ。目にポイントを置いているようで、目の化粧はじつに念入り。つけまつげもバッチリつけている。そして細い眉から太めの眉へ。化粧はまさに時代を反映しますね。そういえば以前に比べて電車内で化粧する女性が少なくなったように思う。7~8割はスマホ操作、残りは居眠り?

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2015年8月19日 (水)

ビッグイシュー日本版

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何年前のことだろう、有楽町の駅前で、一緒に歩いていた友人が急にバッグからお財布を出すと、雑誌を掲げて立っている男性のところに寄って行った。友人は購入した雑誌をバッグに入れながら、できるだけ買うことにしていると言った。詳しい話は聞かなかったが、その雑誌は元々英国で生まれ、ホームレスの人が仕事を見つけ自活できるように応援する雑誌「THE BIG ISSUE JAPAN 」だった。
そういえば仕事で目白駅を利用していた頃、陽に焼けた男性が雑誌を両手で高く掲げて立っている姿をよく見かけたものだ。いかがわしい雑誌?くらいに思って見過ごしていたが、ようやく納得した。
それ以来私も街で見かけると買うことにしている。ユニークな記事が多い。1冊定価350円のうち、180円が販売者の収入になる。次の9月1日号で創刊12周年、内容も刷新され、定期購読制度もスタートするとか。この手の雑誌が12年続いたとは大したものだと思う。これからもがんばってほしい。

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2015年8月14日 (金)

三谷一馬著『江戸 吉原図聚』を楽しむ

イメージの世界だった吉原というところがどんなところか遊女の生活・風俗を中心に詳細な絵と解説で展開され、芝居を観ているような面白さだった。たとえば本書に掲載された歌川広重の「東都名所新吉原朝桜之図」の解説には「遊女が大門まで送ってきて、客に別れを告げています。遊女が送ってよいのはここまでで、大門からそとへは出られません。夜が明けたので大門は開けてあります。外には駕籠かきが客を待っています。満開の桜の色が曙の色をましています。どこか哀しい、それでいてなまめかしい情景です。」とあって、そうなんだ、浮世絵を鑑賞しているだけではそこまで読み込めなかったけれど、なるほどと合点がいく。

 

著者の三谷氏は日本画家から江戸風俗の資料画を描くことに生涯専念された人で、当時の版画や黄表紙、人情本、洒落本、滑稽本、読本、草双紙などに描かれた絵を復元。本書も文庫本ながら吉原を描いた250枚以上の復元画が掲載されてあり、圧巻だ。元絵のなかの誤りなども指摘し、まさに貴重な資料となっている。

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2015年8月 9日 (日)

土曜日の午後

電車の中は浴衣姿の若い女性で溢れていた。そうか、今日は東京湾大華火祭か。カップルもいるけれど、ほとんどがひとりでスマホをいじっている。これから彼との待ち合わせなのだろう。銀座のホコ天はすごい人出、4丁目の三越地下の食品売り場も身動きできないほどの混雑ぶり。暑いのによくまあこの人出と思うが、昨日の記録的暑さ37.7℃に比べたら今日の34℃は涼しく感じられるくらいではある。ウインドゥ・ショッピングをしながらいつもの風月堂へ。カズさんと待ち合わせ。そしていつもの吉野へ。懐石のコース料理に舌鼓を打ち、おしゃべりを楽しんだ。料理は先付けのあと、前菜八寸は鯵黄身そぼろ、芋茎ゼリー雲丹のせ、穴子湯引き、豆腐、ちり酢、合鴨山椒煮、茗荷味噌焼き。椀盛は鱧と早松茸椀。煮物は身欠にしんと茄子、小芋、隠元、木の芽。そして造り、焼き物、天ぷらがあり、最後の冷し梅の乗った三輪太素麺のなんと美味しかったことか!!

 

江戸っ子カズさんとは四十数年来のお付き合いになるが、いつの頃からかこの銀座コースが定番となった。いつも奢っていただくばかり。たまにはと言っても決して払わせてくれない。おまけに今日はカズさんの作品、猫の絵までいただいてしまって……、果報者です。

外に出ると、ドカーンと地鳴りのような響き。雷かと思ったら、そうか花火かと納得。

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清水哲男さんの『新・増殖する俳句歳時記』

清水哲男さんのブログ『新・増殖する俳句歳時記』を読むのが、毎日の楽しみの一つになった。今日(8月9日)紹介されている句は、てづか和代さん(8歳)の句。

たいようは空であそんで海でねる

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映画「ルンタ」を観る

インド北部の町ダラムサラ。ここには中国の支配下のチベットから亡命したダライ・ラマが1959年から住む。建築家の中原一博さんもこの町に30年間住み続け、故郷を失ったチベット人を支援しているという。チベットでは中国の圧政に対して抵抗を示す「焼身抗議」が後を絶たないが、中原さんはその実態をブログで発信し続けている。焼身抗議をした人の数が今年の3月時点で141名。若い人が多い。かれらの11人がどんな思いを抱いてこの世を去ったのか。中原さんはチベットに赴き、その現場を確かめ、周りの人に話を聞いて歩く。十代半ばの女性のエピソードはあまりにも悲しいが「決心の力」に導かれていることを知る。かれらへの想いを語るとき、中原さんは何度も声を詰まらせた。

 

「ルンタ」とはチベット語で風の馬を意味するという。経文が印刷された紙を天に向かって撒く。風になびく旗にも経文が印刷されている。風の馬が人々の願いを仏や神のもとに届けると信じられているという。チベット人の篤い信仰心、慈悲と利他の心が伝わってくる。映画に登場するかれらはみな凛々しく、いい顔をしているのに驚く。

監督は「先祖になる」を撮った池谷薫氏。この監督の資質なのだろう、とても重いテーマなのに人間の尊厳、優しさというものが滲み出ていて、こころ洗われるドキュメンタリーフィルムだった。(シアター・イメージフォーラムで)Img004_447x640


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