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2014年8月

2014年8月25日 (月)

映画 「ローマ環状線 めぐりゆく人生たち」を観る

ヒューマントラストシネマ有楽町で観た。ここで私が観る映画は大抵空いているので第一回の上映にのんびり出かけたら、チケット売り場に行列ができていて慌てた。私の番で、残り座席3席。危うくセーフでした。

 

まったく音の入らないタイトルバックからはじまり、ローマ環状線を行き交う車のライトが映し出される。ローマを取り巻く大動脈、全長70kmの環状線GRA。その周辺に暮らす人々を丁寧に追っていくドキュメント。木の音を聴く植物学者や年老いた母親のいる救急隊員、ウナギ専門の漁師、新興の高層アパートに暮らす老人と娘、趣味の悪い豪邸? を撮影用に貸す商売の男、路上生活者、それぞれの暮らし。監督のジャンフランコ・ロッシは作家イタロ・カルヴィーノの『見えない都市』に触発されてこの映画を作ったというが、何の説明もないドキュメントは鑑賞者にイマジネーションを促す。それぞれの人生が環状線の車のライトのように連なり、そして環になっていく。

 

ローマはある程度知っているつもりだったけれど、郊外の風景、暮らしぶりを見たのは初めて。いわゆる観光客が抱くローマのイメージは微塵もなかった。ふと先日の浅草が思いだされた。誘われて木馬亭に行き、漫談や喜劇に大いに笑い、そのあと地元の人の馴染みの食堂に案内していただいたのだけれど、お店の人やお客さん同士のやり取りを垣間見ていると、下町のなんともいえない風情、息づかいが伝わってきて、これが浅草なんだ、とつくづく感心したものです。うれしくなりました。浅草が好きでずいぶん通っているけれど、観光客として訪れているかぎり窺い知れない浅草。ローマもそうなんですねぇ。

 

タイトルに「ローマ」が入る映画がいま他に2本。「グレートビューティー追憶のローマ」と「ローマの教室で」が公開されている。

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2014年8月19日 (火)

川本三郎著『荷風好日』を再読。そしてドナルド・キ―ン著『声の残り』

『荷風と東京』の著者が、新聞や雑誌に発表した荷風関連のエッセイをまとめたもの。さらっと読めるのだけれど、内容は深い。今回も新たな喜びがあった。川本氏は荷風を好色文学から都市文学へ、東京の町の散策者として光を当てた人。この人の文章を読んでいると心地よい。荷風論でいま私が一番信頼を寄せる人。氏は『断腸亭日乗』を読みこみ、荷風の歩いた東京をくまなく歩き、その魅力を引っ張り出してくれる。たとえば「浅草から京成電車に乗って四つ目の八広駅で降りる(平成六年に荒川駅から八広駅に駅名がかわった。)。駅を出るともう目の前が荒川で、広々とした水のパノラマが広がる。」とあると、もう、絶対ここを歩こうと思ってしまう。

 

「荷風のラジオ出演」のエッセイでは、荷風の声をラジオで初めて聞き、その「あまりに若い声に驚いてしまった」とある。そしてドナルド・キ―ン著『声の残り 私の文壇交遊録』のなかの荷風を紹介してくれた。それがじつに面白いので、早速図書館でキ―ンの『声の残り』を借りてきた。薄い文庫本で、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫など交遊のあった18人の文人を採りあげている。現在92歳のキ―ンは昭和32年、35歳の時に最晩年の荷風を市川の家に訪ねている。「永井荷風には一度だけ会ったことがある。実はそれだけでも、大したことなのだ。」という文章で始まり、ポイントは「まもなく荷風が、姿を見せた。荷風という人は、まことに風采の上がらぬ人物だった。着ている服は、これといって特徴のない服で、ズボンの前ボタンが全部外れていた。彼が話しだすと、上の前歯がほとんど抜けているのが分った。しかし彼の話すのを聴いているうちに、そうしたマイナスの印象なぞ、いつの間にか、どこかへ、すっ飛んで行ってしまった。彼の話す日本語は、私がかつて聴いたことがないくらい、美しかったのだ。第一私は、日本語が、これほど美しく響き得ることさえ、知らなかった。その時彼が話したことの正確な内容、せめて発音の特徴だけでも、憶えておけたらよかったのに、と悔やまれる。ところがその日は、前の晩の飲み過ぎで、私はひどい二日酔い、荷風が何をしゃべったか、記憶がまったく定かではないのだ。それにしても、彼の話し言葉の美しさだけは、あまりにも印象深くて、忘れようにも忘れられない。」晩年の荷風が彷彿とする。私もアーカイブでぜひ聞いてみたい。

 

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赤坂真理『東京プリズン』を読む

815日、電車に乗ったら目の前に立っている人が読んでいる朝日新聞の広告欄が目に入った。赤坂真理『東京プリズン』大増刷 8刷。この本をちょうど読み了えたばかりだったので、大きなカラー広告に驚く。そうか、今日は敗戦の日。私はこの作家の名前を辛うじて知っていただけ。読んだのは初めて。この本を読んだ友の薦めがなければ手にしなかった。

 

「私の家には何か隠されたことがある」と感じて育った15歳の少女マリは単身アメリカ極地の学校に送り込まれ異文化の中で苦労する。学校の進級をかけたディベートに課せられたテーマが「天皇の戦争責任」。肯定側に立つことになったマリ。調べていくうちに日本人が押し隠してきた歴史にぶつかる。東京裁判とは何だったのか。東京裁判で通訳をした母。「現代の東京裁判」に独り立ち向かうマリ。10代のマリと40代になったマリが時空を超えて対話し暗示的・象徴的な夢も複雑に絡んで展開する。作家自身が長年引きずってきた重いテーマを読者に問うかたち。

 

「天皇に対する歴史上の日本人の態度には不思議なものがある。たてまつりながら利用する、最高権威を与えながら実権は与えていない。しかし最後に彼に向ってひれ伏す。」たしかに。エンペラーとも違う日本の天皇とは。象徴としての天皇とは。天皇のことを真剣に考えたことなどなかった。こんなエピソードもある。玉音放送のレコードのキャプションに「アメリカ兵が日本人捕虜に『これは本当にヒロヒトの声か』と訊ねるも答えられる者は誰一人居なかったという話が残る。」と。確かに声を聞いたことなどない。けれどあの声を誰もが疑いもなく天皇の声と認めたところに日本人が表れていないか。

 

戦争を少しでも体験した年配者には食い足りない部分があるかもしれないが、タブー視されてきたことに直球で挑んだ力作だ。「戦後」はつづいている。

 

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2014年8月 8日 (金)

2014 イタリア・ボローニャ国際絵本原画展

ボローニャというと井上ひさしの『ボローニャ紀行』をまず想い出す。いい本です。ボローニャは行ったことがないので、機会があればぜひ行ってみたい街です。

そのボローニャで1967年から児童書のブックフェアの一環として絵本原画コンクールが開催されていますが、世界中の新人イラストレーターの登竜門として知られています。ここから多くの絵本作家が誕生。日本からの応募も年々多いようです。板橋区立美術館ではその入選作品を毎年展示しています。絵本の原画は温かい味わいが伝わってきて観ていて楽しいもの。今年は三浦太郎さんの作品「ワークマン ステンシル」が大きく取り上げられていました。働く人のいろいろな動きをステンシルで表現する試みが斬新。そのステンシルを使って、ピカソのアビニヨンの娘たちやマティスの裸婦、ダビデ像、鳥獣戯画、風神雷神などの画面構成をした試みも面白いものでした。817日まで。1407397486184_800x533_2





 

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久しぶりに猫の話

Cimg1417ミックが食を断っている。いつもは人間顔負けの立派なウンチなのに、この数日微量の軟便がつづいている。人間は熱中症を気にしてせっせと水分補給をしているが、そんな時ミックにも小皿に入れておすそ分けしていた。それが冷たい水だったので腹を下したのではないかと勘ぐっている。ミックはお風呂のお湯が好きなくらいだから。猫は暑くても寒くても毛皮を纏ったまま自己調整をしているのだから、余分なお節介は不要だった。

あんなに食い意地の張ったミックがもう3日、ほとんど何も食べていない。でも心配はなさそう。猫の自己管理はたいしたもの、見習いたいものです。一方ホースケはというと、元気づけに大好きなマタタビをもらって気持ちよさそうにゴロンゴロン。そして長くなって昼寝。Cimg1499_800x578


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2014年8月 4日 (月)

DVDで映画「濹東綺譚」を観る

以前から観たいと気にしていたもので、ようやく手に入れた。文芸作品を得意とする豊田四郎監督の昭和351960)年の作品。原作者の永井荷風は昭和34年に亡くなっているから死の翌年に作られている。八住利雄の脚本は原作とはかなり異なった構成になっていて、木村荘八の挿画入り岩波文庫に馴染んでいる身には、こういう展開もありか、なるほどと思ったり、これはちょっと説明的すぎていただけないと思ったりしながら観た。ま、詩が散文になったというか、映画は映画として別物と割り切ってみるべきだろう。

 

山本富士子、芥川比呂志主演。脇役にも中村伸郎、宮口精二、東野栄治郎、新玉三千代、乙羽信子、淡路恵子など名優が並ぶ。娼婦役はどんな女優がやっても様になるといわれるが、山本富士子のお雪は原作にある優しくさっぱりしていて献身的な女の可愛いらしさがよくでていた。

 

それよりなにより、当時(昭和12年)の玉の井を忠実に再現したという伊藤喜朔の美術セットは見ものだし、隅田川周辺の昔の風景が私にはうれしかった。団伊玖磨の音楽には違和感があった。

「濹東綺譚」の映画化は新しいところでは新藤兼人監督のものがあるが、こちらは見なくとも想像できるような気がするので、しばらくは観るつもりはない。Img001_567x800_2


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2014年8月 2日 (土)

「フィオナ・タン まなざしの詩学」を観る

最初に1階ホールで上映作品を2本見た。「影の王国」と「興味深い時代を生きますように」。後者は中国系インドネシア人の父とオーストラリア人の母のあいだに生れたフィオナ・タンの自伝的作品で、華僑として生きたタン家の歴史をオランダ、ドイツ、インドネシア、香港、中国に居住する親族を訪ねることで、東洋人でも西洋人でもない自己のアイデンティティを探っていくフィルム。華僑の歴史的、政治的背景を知る上でも興味深いものがありました。 2階フロアの展示作品は、静止写真と映像の中間のような、時間と空間を作家と共有する感覚。ひとつの作品の前でこんなに長く足をとめたのもめずらしい。「鑑賞することは創造的行為だ」と伝える彼女の静かで柔らかい「まなざしの詩学」がありました。東京都写真美術館で。9月23日まで。 Img001_567x800

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「フンフン」ってごぞんじ?

以前このブログでもご紹介したが、3.11以後、何か身近なところから生活を見直し、できることをしたいと北海道の友人ハルさんが「teteの会」を立ち上げた。着古した衣類などを再利用して女性用のナプキンを仲間たちと1000枚作り、函館と東京で展示即売して売上金の一部を被災を受けた人に役立ててもらいました。このteteの会は現在も毎月11日に311円の会費で開いているが、今手がけているのが「フンドシ」。去年、私はハルさんから依頼をうけ、女性用フンドシにどんなものがあるか都内の主要デパートをリサーチした。最初の1、2カ所は女性用下着売り場で聞いてみたが扱っていないという返事。で、そのあとはまず1階案内所で聞くことにしたら、「女性用フンドシでございますか」と、うら若き美女が言葉にするのをためらいながらも、改まった顔で反復し、しゃがみこんで売り場に問い合わせていた。どこのデパートでも対応する女性の反応が同じでおかしかった。結局女性用フンドシはどのデパートにもなく、まだまだ市民権を得ていないことが分かった。ネットで調べると、いくつか流通していて、「シャレふん」などと命名したものがある。teteの会では「フンフン」と名付けて制作中。私も何枚か作って現在愛用しているが、この解放感、じつに快適である。一度味わうと特に夏は手放せない感じである。仲間のみなさんも同意見。外出時の着用はまだちょっと自信がないのだけれど。

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