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2013年7月19日 (金)

セレンディピティ

7月初旬に開かれた東京国際ブックフェアで、外山滋比古氏の講演を聴いた。そのタイトルが「思考力を鍛える本の読み方 乱読のセレンディピティ」。セレンディピティという言葉、映画のタイトルにあったらしい。アメリカのカフェにもこの名の店があるらしい。一時流行語にもなったらしいが、私は知らなかった。ウィキペディアで調べると、「何かを探している時に、探しているものではなく、別の価値のあるものを見つける能力、才能を指す言葉。何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見する「能力」を指す」とある。たとえばニュートンの万有引力はりんごが木から落ちるのをみて閃いたというように。

外山氏は乱読によって、自分に遠い本と思っている本に自分を発見することがある。その確率が高いと。そして自身のセレンディピティとして2つの例を挙げた。1つは菊池寛のエピソード。彼は親しい人に自著を贈呈しないという。これを読んで、外山氏はハタと感じ入った。著者と読者は離れている必要がある。できるだけ遠い人に読んでもらう。以来、外山氏も人にケチと言われようと身近な人に本を贈呈しないできた。2つ目はものを考えるための読書。自分には遠いジャンルと思っていた物理学の寺田寅彦の「科学者とあたま」を読んで、知ることと考える事の違いに目覚めたという。

では私にもセレンディピティはあったろうかと考えてみたが、思い当たらない。知識を詰め込むことはしても考えることをしていない証拠か。よく運も才能のうちというが、凡庸な人間には運も回ってこないということになる。

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