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2011年8月

2011年8月31日 (水)

「いま、哲学の時」

0609_kuro そう感じていたところ、d-laboで早稲田大学文化構想学部教授・藤本一勇教授のお話を聞く機会を得た。氏のご専門はフランス現代思想、情報メディア思想。未来倫理学とは? 技術・メディア哲学の視点からのお話しは刺激的だった。「ユビキタス社会にあっては人間が技術や環境の操作主体ではなく、人間自体が環境の一要素となる。モノ化(脱人間化)による思考の喪失へと進み、怖しいということが解らない怖しさが生じる」「技術が地球全体を破壊しうるほど、また生命(進化)のあり方を左右するほど、巨大な操作力をもった今、倫理や責任の射程を拡張しなければならない。力の大きさは責任の重さと連動する」「人間中心主義ではなく、ロボットや人工生命をも含めた全生命体へ配慮した新たな倫理を」と。男と女の有り様は源氏物語の昔からさほどの違いもないのに、この技術社会の変容はすさまじい。だからこそ、いま、哲学の時。とくに3.11の原発事故以後はその思いが強い。問題を諦めずに問いかけること、また問いを先鋭化すること。驚き、問いかけが哲学の生命線である、と氏は熱く語られました。

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2011年8月29日 (月)

「あこがれのヴェネチアン・グラス」展

Img001_451x640 Iさんから招待券をいただいたので観てきた。16世紀頃のレース模様のグラス作品などをみると、その高度な技術の緻密さと華麗さに唸るとともに、当時の王侯貴族の生活はどんなものであったか、また制作技術の秘密保持のためにムラ―ノ島に隔離されたガラス職人の存在などに想いがゆく。収穫は時代をこえて現代日本の若手作家の作品も観られたこと。植木寛子氏の作品が色といいテーマといい魅惑的でした。サントリー美術館で1010日まで。

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2011年8月28日 (日)

銀座の母猫と仔猫

Cimg0438_640x480_2 Cimg0439_640x469 隅田川花火大会の土曜日夕、銀座の歩行者天国も景気がよさそうな混雑だった。車道に人が群がっている。覗くと猫。母猫が生まれたての仔猫におっぱいをやっていた。母猫の首には派手なピンクのリボン。カワイイ、カワイイと女も男もケイタイカメラを向けている。こうした行きずりの人間に慣れているのか母猫は泰然としている。飼い主がいる気配はない。まるでサーカスの見世物のようで可哀そうと思いつつ、私もシャッターを切ってしまった。買い物の用事を済ませて戻ってみると、群れが消えていた。猫の親子はどうしたかしら、でもいないことにホッとして先に目をやると、いた! 今度は通りを示す看板の上にいて、またもや周りは人だかり。ケイタイカメラが一斉に鎌首をもたげていた。怖ろしい。じかに猫に危害を加えることはないにしても、カメラの暴力を実感、反省したのでした。ゴメンネ銀座の名物?猫ちゃん。

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2011年8月23日 (火)

「おとったん、ありがとありました」

Img001_454x640 こまつ座第94回公演「父と暮せば」を観た。井上ひさし・作、鵜山仁・演出の二人芝居。辻萬長×栗田桃子。舞台は原爆投下から3年後の広島。広島弁がやさしく耳に心地よい。芝居最後の娘のセリフ「おとったん、ありがとありました」で今まで目に溜まっていた涙が一気にあふれ出てしまいました。気持ちよい涙。拍手をするのがもったいないほどの余韻。あの「間」は舞台と観客がひとつになった瞬間でした。そのあとの嵐のような拍手。まさに芝居の醍醐味。「井上ひさしの最高傑作にしてこまつ座のライフワーク」とチラシは謳うが、芝居に込められたメッセージに普遍の力を感じました。そして井上ひさしという人はなんと温かい人なのでしょう。たまたま先日NHKBSプレミアムで映画の「父と暮せば」を観たけれど、父親役の原田芳雄に井上ひさしがいて、先日無念の死を遂げた原田芳雄という役者はやっぱりすごかったと思う。雑誌「新潮」199410月号に初掲の戯曲「父と暮せば」を読み返しました。

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2011年8月20日 (土)

彫刻家エル・アナツイのアフリカ

Img001_453x640 大地の包容力というか、魂の呼応というか、圧倒されながらも居心地のよい空間に身を置くことができた。同世代の作家。1990年代の木の作品はもちろんだが、瓶のキャップなど廃品のアルミニウムで織りなす最近の巨大な作品群は、人工の材料なのに、懐かしい記憶を想起させるような感覚がありました。埼玉県立近代美術館で828日まで。

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2011年8月13日 (土)

階段から転がり落ちたトントさん

Cimg0426_640x479Cimg0428_640x489_2 Cimg0429_640x488 Cimg0430_640x509 Cimg0431_640x474 Cimg0432_640x479 夜中、階段から転がり落ちるドタドタドシャンという音で目が覚めた。足元のトントさんの寝床を見ると、いない。たいへん! と起き上がると、何事もなかったようにトントさんが戻ってきた。なにせ脳梗塞5カ月の身である。でも階段から落ちたぐらいでは打撲傷も骨折もないらしい。何も言わないので真相はわからないのだが、まずはホッとする。そして朝。久しぶりに外に出たいという。家の周りを歩くときはじつに立派に歩く。猫は気位が高いというか気どりやというか、外猫の前では極力フツウを装う。そして猫部屋に戻ったトントさん、アーアつかれた、とバタリと寝てしまった。

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2011年8月 8日 (月)

電気よりツルを選んだ村

3:11以後、ライフスタイルを見直す動きがあって、たしかに節電は効果を上げているようだけど、もっと本質的なところを見つめるべきだろう。5月6日の毎日新聞夕刊コラムにこんな記事があった。大谷大学の本林靖久氏はこの数年学生に究極の選択として「電気と親とではどちらを選ぶか」「電気と友だち、他人とでは」と質問するという。僧侶でもある本林さんはその質問の前に、電気のない村に行った体験談を話すそうだ。ヒマラヤ山脈の東南に位置するブータン。九州よりもやや大きい国土で人口68万人。数年前、ここの小さな村にようやく電気が引かれることになったが、この地はオグロヅルの越冬地で、電線を引くとツルの飛来に支障がでるのではと心配した村民が電線敷設を断ったという。この話を紹介したあとの質問にもかかわらず、年々、電気と答える学生が増えているという。私は最初まさかと反応したのだけれど、よくよく考えると電気と答えることもありうるなと。もはや電気は不可欠にものになっている。でも電気を得たことで失ったものはなんだろう。ブータンは1970年代に、第4代国王が「国民総幸福」を提唱して注目された国だ。日本をはじめ世界が国民総生産、国内総生産をワンヤワンヤ言っていた時期に。そして2005年の調査ではブータン国民の97パーセントがしあわせだと感じているという。日本は豊かな生活を享受していても、国民はしあわせを感じているとは言い難い。電気に頼り過ぎない生活を提唱してきた発明家の藤村靖之さんは「貧しい昔に戻るのではなく、新しい豊かさを実現するために」と言う。それには哲学することが肝要かと。Photo_3

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