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2011年1月

2011年1月28日 (金)

相磯凌霜著『荷風余話』を読む

永井荷風と実際にお付き合いのあった人の話だから、荷風の素顔を知るうえですこぶる面白い。荷風の晩年の偏屈な暮らしぶりから人嫌いでケチな変人奇人との印象があるが、著者の相磯凌霜(あいそ・りょうそう)氏は「人嫌いと謗り、吝嗇と罵った人間達の生活態度より百歩も二百歩も先んじて正しい生活をつづけられた80年の生涯」だったと荷風を書く。相磯氏は文学者でもその関係者でもない。商事会社のサラリーマンだった頃、金物問屋の旦那衆らとの商売上の付き合いから清元を習うことになり、その稽古先で同じ弟子として来ていた荷風と知り合う。その後、戦中になって軍部の圧力が強くなり、出版物の発禁問題などで荷風のもとに人が寄り付かなくなっても、著者は足しげく出入りして厚い信頼を得るようになる。そして荷風は死ぬ4日前に、自分に万一のことがあったらここに電話するように、と相磯氏の会社の電話番号のメモを側近に渡したという。まあ、恣意的な解釈が無きにしも非ずの部分があるにしても、ほかの荷風研究書にはない荷風の知られざるエピソードがふんだんにあって興味が尽きない。ちなみに熱烈な荷風ファンのほとんどは男性というのはなぜでしょうね?

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ドラ焼きを12個つくった

そうだ、ドラ焼きをつくろう、と思い立った。もう10年ほど前になるけど、ローマにいる頃ドラ焼きを100個つくったことがある。日本企業のローマ駐在員の奥さんのひとりT子さんはドラ焼きづくりの名人だった。彼岸にはおはぎ、端午の節句には日本から取り寄せた柏の葉でつつんだ柏餅などをつくって、惜しげもなく仲間にふるまってくれたものだった。そのT子さんからつくり方を教わったのだが、そのことが甘党のヴァチカンの日本人神父さんに知れて、教会のバザーにと100個頼まれたのだった。1日に2030個つくっては冷凍してバザー当日に備えた。神父さんからは10個の予約が入っていて、あっという間の完売。楽しかったですね。さて、10年ぶりにつくってみると、あんなにおいしいと思ったはずなのに……感激がない。日本にいればいつでも美味しい和菓子が食べられるから当然ですね。でも折角ですから手づくりドラ焼きのレシピを簡単にご紹介します。

ドラ焼き12個分

材料(卵3  砂糖150g ハチミツ大匙1 みりん大匙1 重曹小匙1/2  小麦粉180g  80ml  餡は小豆を150gほど煮てつくっておく。)

つくり方

①ボールに卵と砂糖を泡立てる。②ハチミツとみりんを加える。③小匙1の水で溶いた重曹を加える。④水40mlと小麦粉を入れて泡立てる。⑤固く絞った布巾を乗せ15分ねかせる。⑥残りの水を加え、手でこねる。⑦ホットプレートに油を塗る。スプーンで注ぐとき手を動かさないときれいな円になる。⑧表面がプチプチしてきたら楊枝で周りをはがし、裏面をちょっと焼く。⑨餡を乗せ2枚を合わせて出来上がり。

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2011年1月21日 (金)

皇居東御苑の梅と竹久夢二の人形

Kc3g0004 銀座でランチのあと、丸の内のブランド店をウインドー・ショッピング。お堀端から皇居東御苑を抜けて近美の工芸館まで散歩。大寒というのに、日中の強い日差しを受けて歩くと、ゆっくりでも汗ばむほど。厚着してきたのを後悔した。皇居大手門から入ってしばらく行くと奉仕団の方々が掃除をしていた。思わず、お世話さまです、と声がでる。年配者よりも若い女性たちが目立った。石垣のすっきりした佇まいを眺めながら、隅々まで手入れの行き届いたしずかな道を歩く。ああ、なんて気持ちがいいのかしら。梅林坂の梅をケイタイでパチリ。ここの梅は1478年に太田道灌が菅原道真を祀って百株植えたのが始まりという。早咲きの梅は冬至のころから咲きはじめ、2月中旬がいちばんの見頃になるとのこと。北桔橋門から出て、工芸館の「現代の人形」展へ。平田郷陽や堀柳女の人形たち。たまには人形もいいものですね。竹久夢二の作品(ピエロ、少年)は初めて。絵と同じ哀愁がただよい余韻をのこします。

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映画「シチリア、シチリア」

イタリア映画はたいてい観ることにしている。監督は「ニューシネマ・パラダイス」のジュゼッペ・トルナトーレ。舞台は1930年代のシチリアの貧しい片田舎。ニューシネマ・パラダイスの男の子を彷彿とさせる男の子が大家族や村のしがらみのなかで成長し、共産党員になり、恋をし結婚をしてたくさんの子どもが生まれて…という大河ドラマ。戦中から敗戦、戦後の復興への道を歩んだ日本の昭和の風景とダブる懐かしさはあったけれど、トルナトーレの故郷シチリアへの思い入れが重すぎてかちょっと疲れました。シチリアの方言も残念ながらイタリア語の勉強になりませんでした。

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2011年1月17日 (月)

おおさむっ、寒いですねぇ。

Cimg0214_800x556 東京の最低気温が零下になったのは昨日につづき今冬2度目、5年ぶりとか。でも日本海側の厳冬豪雪と比べたらなんと恵まれていることか。今日も快晴。富士山がバッチリでした。送電線が邪魔だけどこんな感じで見えました。このところ早朝ウォーキングは寒いのでお休み。陽が高く昇ってから気ままにブラブラ。お気に入りの公園は木々が葉を落として、明るい日差しでいっぱい。太陽の恵みをひしひしと感じます。しあわせです。Cimg0218_800x600

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トントさん、とんだ濡れ衣だった?

中毒が疑われる、というM先生の診断でぶっとい注射を2本してもらったトントさん(20101229記)。その後はいたって元気。しばらく血尿がつづいたものの、じつはよーく観察すると、この血尿と思っていた色は、濡れるとオレンジ色になる猫砂のせいだったのです。別の砂を使ったら、こちらは濡れるとブルーになるものでした。ごめん、トントさん、ごめん。でもあまり水も飲まなくなったし、元気そのもの。私の誤診、まだM先生に伝えていません。メーカーさん、こういうまぎらわしい砂は作らないでほしいものです。

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2011年1月12日 (水)

井上ひさし追悼 こまつ座公演 平淑恵さんの「化粧」

1時間20分の平淑恵のひとり芝居。演出は鵜山仁。座席が前から2番目の真ん中だったので迫力ありましたね。設定は開演前の楽屋。浴衣の肩を脱いで観客側に鏡があるかのように化粧をしながら半生を語っていく女座長。劇中劇用のかつらをつけ、着物を着て帯を締め、裾をまくり上げて男役に扮していく。化粧、着付けという動作をしながらとにかくしゃべる。しかも観客の視線を一身に受けつづける緊張感。むかし木村光一演出、渡辺美佐子の「化粧」をテレビの舞台中継で観て、すごい芝居だと思った。この戯曲は井上ひさしが渡辺のために書いたものだというが、渡辺は一去年5月、28年間、上演600回に及ぶこの当たり役のファイナル公演をしたという。ひとり芝居、役者なら一度はやってみたいものだろうか。引き継いだ平淑恵がどこまでつづけるか楽しみです。

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2011年1月11日 (火)

高峰秀子さんの死

20101228日、高峰秀子さんが肺がんで亡くなった。86歳。私より少し先輩の周りの男性たちは憧れだったデコちゃんへ哀悼の意を捧げているが、私は「二十四の瞳」や「浮雲」など数本の映画しか見ていないし、とくに女優としての高峰秀子への思い入れはない。むしろ達意の文章で綴るエッセイに共鳴していた。つまり高峰秀子の流儀に憧れたものでした。4年まえにちょっとした原稿を依頼した。電話をすると、夫君の松山善三氏がでられ、すべて引退したので、ときっぱりと断られた。その数日後、ご本人からの葉書が届いた。「お手紙拝見しました。当方82歳になり、1日の大半はベッドの中なので、外出もできず、原稿も書けません。折角のお申越しですが、どうぞ悪しからずお許しください。一筆お返事まで。」超然とした生き方をした大人の女性でした。この葉書大切にしています。

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植田正治写真展 写真とボク

学生時代に図書館でこの人の作品集を見て、強烈な印象を受けた。砂丘の上に点在する人物。一度見たら忘れられない時空を超えた風景。写真というテクニックを使ったアートだった。その植田正治の写真展を埼玉県立近代美術館で観た。戦中戦後の時代に撮影されたにもかかわらず、美に向かうのびやかな心が伝わってきた。被写体にされた妻や子どもたちはたいへんだったろうな。オブジェを使った作品はシュールレアリズムの世界。65歳以上観覧無料はありがたいですね。1月23日まで。

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富士山といえば、北斎の富士に唸る

Img001_2 東京国立博物館の本館リニューアルを記念した特別公開で、葛飾北斎の「冨嶽三十六景」のうち22枚が展示されていた。北斎の富士は大胆かつ優美。やっぱり凄い。脱帽です。このほか雪舟の「秋冬山水図」(国宝)、尾形光琳の「風神雷神図屏風」(重要文化財)、狩野永徳の「檜図屏風」(国宝)も特別公開されていた。全部どしんと見応え。じつは「初もうで展 美術のなかのうさぎ」を観に出かけたのだけれど、得しちゃいました。上野駅の元駅長室だったというレカンでランチ。Img001_561x800_2

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2011年1月 5日 (水)

富士山を見た

1月5日、お節料理から平常のパン朝食に戻った。食後友人に送るリュックにいろいろ詰めモノをしてクロネコ便。その足で今年初のウォーキング。八坂神社近くの階段を昇ったら左手になんと富士山が聳えていた。思いのほか大きく見えた。ふだん富士山にまったく関心がない。中国人になぜ人気があるのか理由が分らない。富士を描いた絵にも関心がない。いや、横山操の富士は別か。それが思わず足を止め、しばし眺めていた。神々しい感じがした。この感覚は何だろう。1時間後、同じ場所に戻ってみたが、想像どおり、もう霞みのなかに隠れて見えなかった。晴れた朝、もう少し早い時間にもう一度来てみよう。

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